倫理とエコロジー 掛川エロジーライフ研究会15周年に寄せて

※記念誌発刊時(2015年4月)当時の内容をそのまま掲載しています。

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静岡大学名誉教授
農学博士

中 井 弘 和

倫理とエコロジー

掛川エコロジーライフ研究会15周年おめでとうございます。私たちも藁科川上流の山間に清沢塾を立ち上げ、棚田の修復と自然農法による稲作の活動を開始してちょうど15年になります。2000年の春から、お互いに志を同じくして活動を開始したことになります。エコロジーライフ研究会に兄弟のような親しみを感じている次第です。

 お祝いを申し上げながら、私の胸に去来するのは、この15年はどういう時代であったのかということです。私たちは、戦争と環境破壊に彩られた20世紀を反省し、いのちや環境が大切にされる希望の時代を期待し祈りながら、新しい世紀を迎えたはずでした。しかし、期待とは裏腹に、21世紀始まりのこの年月は、前世紀の矛盾が凝縮して現れた稀有なエポックになってしまったと言えます。

 このところ頻発する食品偽造や科学者の不正事件などにかかわって、よく、社会や人の倫理観が取りざたされるようにもなっています。生命倫理や環境倫理などの用語も日常的によく目にしますが、「倫理」には何か堅苦しい語感も付きまといます。私は、「倫理とは、共に生きること」というドイツ人の神学者、ディートリッヒ・ボンヘッファー博士(1906-1945)の言葉に触れて、ようやく「倫理」が身近なものになりました(『現代キリスト教倫理』、森本善右衛門訳、新教出版社)。博士は、ナチス・ヒットラーに抵抗して殉教した人として知られますが、それは、彼自身がナチスの圧政に苦しむ人々と共に生きた証でありましょう。この

15年は倫理が喪失した時代といってもよいと思っているのです。

 「倫理」は、昨今、政府が喧伝する道徳(教育)とは似て非なるものであることは明らかです。博士は、また、次のようにも述べています。(1)倫理は、道徳的行動規範を作ることではない。(2)人の行為を上からの目線で判定することではない。(3)倫理的・キリスト教的人間を生産する蒸留器ではない。(4)すべての無秩序(不条理)に対してユーモアのない敵

                                         

意を抱かない。倫理(観)とは、「共に生きようとする豊かないのちの発露」に根差す、とでもいえばよいでしょうか。それは、エコロジーの別名でもあります。

 私たち日本人は、3.11という、フクシマの原発事故を伴う、未曽有の経験をしたばかりです。それによって、故郷を追われた人々は15 ・ 6万人に及ぶと言われています。私たち

は、この経験によって、いのちの大切さや普通に生活することの尊さを学んだはずでした。それもつかの間、経済発展(GNP増加)の掛け声に翻弄される社会にあって、ひところ流布された(3.11の)「風化」という言葉すら最近はあまり聞かなくなりました。

 倫理(観)喪失の時代を象徴するほんの一例として、ここでは、農薬問題を簡単に取り上げてみます。日本の農薬使用量は、韓国と並んでダントツ世界のトップです(韓国1.3t/平方㎞、日本1.28t、オランダ1.1t、ドイツ0.26t、アメリカ0.17t)(2012年)。人体に安全とされるネオニコチノイド系農薬は、栽培作物に深く浸透し昆虫などの神経を侵し永く効果を発揮するもので、洗っても作物から毒性を除去することは困難です。ミツバチの激減をめぐって、EUでは、当農薬のミツバチへの影響を認め、その多くを使用禁止にしています。日本では、まだ、当農薬のミツバチへの影響を認めていません。西欧諸国で全面禁止となっている有機リン剤系農薬も日本では許可されたままです。日本の農薬残留基準は、EUの何百倍も緩やかです(EU-日本の比較:イチゴ0.01-3ppm、ブドウ0.01-5ppm)。3.11の後、食物の放射線汚染問題で騒がれる中、農薬使用の規制緩和が制定されているという事実もあります。日本の有機農業の実施率は、全耕地面積の0.36%であることが、私が所属する公益法人「農業・環境・健康研究所」と農水省の共同調査によって明らかにされました。有機農業についても、日本は世界の後進国といわざるをえません。

 エコロジーは、生物と環境の関係性を探る生態学(ecology)に人間の心身を位置づけながら、人の生き方を問う思想と言って良いでしょう。それは、西欧由来のものですが、日本あるいは東洋の社会にも古くからそれに通じる「身土不二」といった思想が生活の中に息づいてきました。人は、棲むその土地と不可分の関係にある。その土地が健康ならば、そこに育つ植物、動物、そして人間へと廻る生命の循環によって、人間は健康になるという、自然・有機農業の原理にもそれは通じます。地域に立ちながら、地域の人びと、生き物、自然と共に生きる。経済最優先のグローバリゼーションの嵐が吹き荒れる中で、今私たちに求められるのは、そのような生き方です。

 経済成長主義から「脱成長」へ向かうべきターニングポイントに今私たちは立っています。近未来の地球崩壊を予兆する新たな科学的データも多く明らかにされています。変わらず推進される大量生産、大量消費、大量廃棄による経済発展の行き着くところが地球や人間の破壊であることは明らかです。GDPが高い韓国、日本、インド、中国で自殺率(人口10万人に対する自殺者数)が高まっている事実を上げることができます。経済不良国といわれる、イタリアやギリシャは、意外に自殺率が低いのです(韓国の33.5に対してイタリア6.5、ギリシャ2.8)(2010-2012)。イタリアには村・地域社会が健在でスローライフ、言い換えればエコロジーの生活が根付いているといわれています。それは、私たちが未来に向かう一つの確かな灯りでありましょう。

 3.11を経験して4年目の春を迎えています。このところよくメディアに登場する復興のニュースの中で目に付くのは、海岸沿いの巨大なコンクリート防潮堤や新たな街の建設など大規模工事の成果の光景です。しかし、そこで生きる人々の生活はいかに営まれているのかはなかなか見えてきません。3.11を長く記憶に留め、現地の人々の苦しみや、悲しみ を共有するために必要なことは、先ず、私たち自身が日々のいのちの営みを大切にする生活の仕方を探りその実現に努めていくことではないでしょうか。一言でいうと、エコロジーを生活の中で実現する、ということになります。掛川エコロジーライフ研究会の皆様のお働きに恵み益々多くありますようお祈り申し上げる次第です。

略歴

中井弘和(なかいひろかず)

1939年、福井県武生市(現越前市)生まれ。
静岡大学名誉教授。農学博士。
公益法人「農業・環境・健康研究所」技術顧問として、伊豆の国市、大仁研究農場を拠点に、全国各地で稲の育種を行っている。
棚田の修復と自然農法による稲作を通して学ぶ清沢塾を主宰。社会福祉法人「静岡いのちの電話」理事長。
著書に『生命(いのち)のかがやき-農学者と4人の対話』(2006、野草社)他。

清沢塾  現地説明会